最初のうちは会場は北の峰だけさ。
グスタボ・トエニはたいした気さくだった。
選手はリフトで一緒になると話しかけてきたしなぁ。
79年の最終戦だったかい、白樺ヒュッテで優勝祝賀会をやってさ
怪我してた選手も松葉杖で来て飲んでな、そんで滑って降りてったんだ。
役員は大会中はスキー場に缶詰さ。コース係200人は*ローヤルロッジで寝泊りしたんだわ。
富良野の雪は固まらないから、なまら大変だった。
ジャイアントコースは大回転もスラロームでも使うから
特別、固くする必要があってさ、
自衛隊の協力はやいや大きかったな。
スコップで雪をひっくり返してさ、*ツボ足で上から踏んでだもんな。
スコップなんか何本も折れたんだから、わやさ。
何年か後には圧雪車になったけどな
水をジグザグに撒いてさ、わざと固めるためにね。
FISの大会役員にスピース(Spies)氏っていう人がいてさ、その人は偉い人だったな。
コース係の苦労が分かっているからさ、
自分も上から降りてくるときはハの字で溝をならしてくるんだから、
こっちも手抜けないっしょ。
しやあないから付いて行くもんだから、ゆるくねえさね。
苦労してコース作ったって
吹雪でレースがキャンセルになったこともあったな。
なんたって自衛隊の存在は大きかったね。
暗いうちから出てくんだからな。
して、天候が荒れると更に早くにくるしさ。リフトが動かないなら訓練だから
歩いて上がれってさ。
道具が足りないから各自自分ちの*ジョバもってこいって言って
懐中電灯で照らしながら軍隊の行進のように歩いてあがってくんだかんね。
足音がもう半端ないのさ。
何事かと思うべな。
雪質はヨーロッパとは違うのは有名だな。固まり具合が違うんだってさ。
富良野は昨日、一昨日降った雪でも新雪だもな。
実行委員会を作って、国土と役所と市民と一丸となってやったんだわ。
当時はスキーも盛んだったから、リフト待ち1時間なんてあったな。
北の峰スキー場ができたばかりの時は
パトロールがいなかったからけが人が出ると自分達も手伝ったんだ。
したけど、スキー場が賑わうのはいいよなぁ。
*スキーなどを履かずに普通の靴のまま雪上を歩くこと
*ローヤルロッジ 北の峰スキー場正面に建っていたロッジ
*ジョバ 雪かきの道具(長い柄と先が平らで広いスコップに似た物)
及川道行(おいかわ みちゆき)氏プロフィール
1942年~
市体協スポーツ功労者。
中富良野村鹿討生まれ。
1963年 富良野スキー連盟に加入 理事となる(1999年)まで在任
1964年 富良野スキー傷害対策協議会 理事(救急救助活動に従事)
1975年-1992年 北海道スキー連盟アルペン専門委員
1977年 FISワールドカップ富良野大会、1991年札幌ユニバーシアード冬季大会アルペン種目にも役員として参加し、競技運営に大きく貢献する。